March 29, 2006 ニュースの時間 : Serious Talk
最近、色々とビミョーなニュースを目にします。
というのも、ニュースの「ネタ」性ってのはどんどん上がってるんですよね。
報道する意義がわからない事件ってのが非常に多い。
いや、事実を伝えるのが報道でそこに意図なんてあったら略って言う理想はさておいて、ね。
そんなことを言い出したら、世界には異常に大量の事件が存在しているワケで。
それら全てを報道できない以上、その中から報道する事件を選択した「理由」があるわけ。
話題性とか、話題性とか、話題性とか。
んで、そういう報道があるたびに「こういう報道は配慮が以下略」だのって耳にするんですが。
そうやって騒ぐことこそが、この手のニュースが消えない理由のひとつになってんじゃないかなー、っていつも思うんですけど。
本当に配慮に欠けたニュースが消えて欲しいのなら、そういうニュースが出たタイミングじゃなくて、常にそういうコトを言い続けて無いと無意味なわけじゃないっすか。
二年置きに「オリンピック誘致の問題性」とか言うから毎回リセットされてしまうのであって、常にその問題性を唱えておけばいつかは発展するわけよ。
そもそも配慮に欠けたニュースに対しての批判なんて、結局はそのニュースに対しての「反響」の一つでしかない。
批判だろうがなんだろうが、何らかの反応がある以上、そのニュースには存在意義ができてしまうワケじゃないっすか。
「この報道をキッカケに皆さんも他人への配慮というものを学びましょう!」とかなんとか。
そんなキッカケ見飽きたから早く発展しろよ、と思うんだけど発展しない。
そりゃそうなんだよね。
みんなその瞬間は考えるけど普段そんなこと考えないから。
だったら、この手のニュースに対する一番の批判は「無視」なんじゃないかなー?
っていつも思うんですが。
そこのところどうなんでしょう。
ちなみに、「無視」って言う選択もかなりリスキーなのは確かなんですが。
でもこんなコトで正義感振りかざしてる暇があったら他の部分に目を向けたほうがいろんな意味で発展は早いんじゃないかなー。
と、たまにはちょっとマジメな話をしてみました。
Written by T-Akf