Chapter. 01
Theobart
彼、テオバルトの一日は、朝の散歩から始まる。
「おはようございます、テオバルトさん」
「おはようございます、ミリーさん」
彼が笑顔で応じると、ミリーと呼ばれた女性は心と一緒に体を跳ねさせているかのように軽い足取りで去っていく。
その勢いに、腰の辺りで握り締めている花が茎の途中で折れてしまっている。
その姿を笑顔で見送ってから、テオバルトは挙げた右手をそのままこめかみに当て、ため息をつく。
「今日で一週間連続……これは確実にルートが割れてるな……」
しかしげんなりした表情もつかの間、彼は素早く表情を穏やかなものに替え、
おそらくミリーと挨拶した際についたのであろう花粉を払い落として歩みを再開した。
白いシャツに黒いネクタイ、そして黒いジャケットを羽織り、しっかりとプレスされて折り目がついた黒いズボン――。
真夏でもこのスタイルを涼しい顔で貫き通す彼は、この街唯一の教会「ラグラス第一教会」の神父なのである。
「おはようございます」
そろそろ教会に着く頃、背後から聞こえた幼い声にテオバルトは振り返った。
「おはようございます、今日は少し早いですね、ヴァリアーさん」
「レディは早起きするものだってママが言ってたから」
そう言って、ヴァリアーはみつあみにした茶髪を大きく揺らしながら飛び跳ねる。
いくら長いとはいえ、スカートを履いて飛び跳ねている時点で「レディ」からは程遠いのだが、
幼い少女はまだそのことに思い至っていない。
テオバルトは心の中で苦笑いしながら、彼女の頭に手を乗せる。
「でも、ヴァリアーさんはレディを目指すより今のように明るいままの方がかわいいと思いますよ」
その言葉に、ヴァリアーは嬉しそうに笑って、テオバルトに抱きついた。
「ありがとう神父さん!」
そして、はじかれるようにして彼から身を離すと、そのまま走って行ってしまった。
おそらく買出しの途中だったのだろう、足音と一緒に硬貨がポケットの中でぶつかり合う音が聞こえた。
彼女が母親に抱きつき、何か話したのだろう、母親が視線だけで一礼し、二人は手を繋いで広場へと向かっていく。
その姿を見送ってから、テオバルトは向き直り、広場とは逆方向に歩き出した。
この国の国教、ユミル教。「教会」とだけ言えば、このユミル教の教会を指す。
その「教会」の裏口の鍵を開け、テオバルトは中に入った。
やはり外は暑かったのか、額には銀髪が張り付いている。
ネクタイを緩めながら、懐から取り出した黒い背表紙の本、聖書を取り出す。
「Olselon Teobalt ithas...」
彼の言葉に合わせて、風も無いのにページがめくれていき、目的のページに達したのか、聖書が淡く光り始める。
テオバルトは左手に掲げた聖書はそのままに、右手で執務室の扉を開きながら、最後の一節を唱えた。
「sens ileil Ogaje」
その言葉とともに、執務室に冷えた空気が流れ始める。
それを確認すると、彼は聖書を閉じ、机の上に置いた。
この世界を司る女神、カイルディーネの加護の力を使う、ユミル教の起こす奇跡、あるいは「魔術」。
大規模な祭儀の際には司祭や神父がその奇跡の力を信者たちに示し、それがそのまま教会の、ユミル教の権威として人々に伝わる。
「まったく、下らないもんだな」
魔術について漠然と思いをめぐらせているうちに、いつの間にか教会の権力争いを思い出し、椅子にもたれたまま顔をしかめる。
カイルディーネの奇跡、なんていわれているが、魔術なんてただの技術だ。
ゼティックと呼ばれる言語を用いて直接世界に干渉する術に過ぎない。
こうして部屋の中を流れる冷気も、ただ聖書に刻まれた刻印と、自らの言霊を介して世界に干渉しただけだ。
つまり、ゼティックと、机の上に無造作に置かれている聖書。この二つがあれば誰でも「奇跡」を起こせるのだ。
奇跡と言っても、この部屋に起こしたような安っぽい奇跡だけでない。
傷を癒し、死者を蘇らせ、精神を破壊することすらも可能な「奇跡」。
それを秘匿するのは仕方の無いことだろう。それを権力に使うのも自然の流れだろう。
それでも、この「技術」を守るために多くの人間の命が、尊厳が踏みにじられているのはあまり面白い気分ではなかった。
「ん……?」
こんな朝早くに教会に用がある人がいるとは思えなかったが、神父なんてものは信用の仕事だ。
素早くネクタイを締めなおし、服装を整えると、執務室から出て、礼拝堂へと通じる扉に手をかける。
しかし、扉の向こう側から鍵穴に鍵が差し込まれる音が聞こえると、テオバルトはため息をついてきびすを返した。
「おはようございます、神父様」
「やめろ、きもちわるい」
振り返りもせずに、背後からの声に顔をしかめた。
その様子が面白いのか、背後の声は喉の奥に笑いを潜ませながら、彼の後をついていく。
「外では笑顔で反応するクセに」
「当たり前だ。信用なくして神父をクビにでもなってみろ。俺生きていけなくなるぞ」
「性格悪いもんねー」
「うるさいな」
再び執務室の扉を開けながら、彼はようやく振り返り、彼女の姿を眺めた。
いつもどおり、短いタンクトップに、デニム生地のホットパンツ。 その上からジャケットを羽織った彼女の服装は、お世辞にも教会の雰囲気に合っているものとはいえない。
しかしテオバルトが率先して祭事の度にカジュアルな格好の信者を受け入れたことで、 ここ、ラグラス第一教会に関して言えば、このような格好で教会に入っても問題は無いのだろう。
桃色に輝く赤みがかった短いブロンドを二つに束ねた彼女を無言で室内に招きいれ、テオバルトは扉を閉じた。
「いやー、相変わらず快適ですこと」
涼しい室内を意味も無く見渡しながら、彼女は手で軽く自分の顔をあおぐ。
「で、なんの用だ? カロリーネ」
呼ばれて、カロリーネは手近なソファに腰掛けてから、テオバルトを促す。
仕方なくテオバルトも彼女の向かいのソファに腰掛けた。
「今度は何があったんだ」
面倒そうな表情で、銀髪をかきあげる。
その言葉に、カロリーネは少し不服そうな表情をした。
「そんなの、あたしが何かしてるわけじゃないんだからあたしに言われても」
「でもお前が持ち込んでくるんだろうが俺に」
「他に誰に頼れってのよ、神父さん」
「いや、ミシェルとか」
二人の共通の「友人」である唯一の人物を挙げるが、カロリーネは挑戦的な目をしたままわざとらしくため息をついた。
「そのミシェルが問題のきっかけなんだから頼めるわけないじゃない」
「は?」
今日は長い日になりそうだ。
彼女の言葉に思わず身を乗り出してしまってから、テオバルトは胸中で毒づいた。
>>To be continued...